自然な流れでたどりついた収益と環境保護の両立
現地で受け入れられるビジネスモデルの秘密とは

植田 紘栄志
(うえだ・ひさし)
1971年岐阜県生まれ。20 歳で豪州へ留学。豪州ウイリアムスビジネスカレッジ卒業。学生時代にさまざまなアルバイトを経験し、帰国後は商社で貿易に関するノウハウを身に付ける。1997年に現在の前身となる有限会社ミチコーポレーションを設立。友人の結婚式でスリランカを訪れた際、目の当たりにしたゴミ問題をきっかけにリサイクルビジネスを開始して現在に至る。スリランカにてペットボトルリサイクルや象の排泄物のリサイクルペーパー「ぞうさんペーパー」などを製造。「ぞうさんペーパー」が「BBCワールドチャレンジ2006」でグランプリ獲得。出版事業では、「ぼくのウンチはなんになる?」が第41回造本装丁コンクール展にて「ユネスコアジア文化センター賞」を受賞。エフエム西東京の「植田紘栄志のラジオぞうさん」でパーソナリティーとしても活躍中。
会社URL▶http://www.michi-corp.com
ブログ ぞうさんペーパー日記▶http://blog.livedoor.jp/nishada/
学生時代のアルバイトと商社勤務で
海外ビジネスの素質が開花
− まずはアジアビジネスと出会った経緯をお聞かせください。
植田:幼いころから起業したいと漠然とではありますが考えていました。高校卒業後にアルバイトで資金を貯め、当時はまだ具体的な目標がなかったのですが、ワーキングホリデー制度を利用して単身でオーストラリアに出発。居心地の良さと旅行関係の勉強をしたいという思いから、現地の大学に進学しました。夜は日本食レストランでウェイター、早朝は免税店の配達員として学費と生活費を稼いでいたある日、日本食レストランのオーナーから「生活のためだけにお金を稼ぐのではなく、さまざまな経験を積むことや目的意識を持って働くことが重要だ」というアドバイスを受けました。そこで、より効率的な資金調達と経験を求めて学生向けにホームステイホストや学校紹介のコンサルティングなどを始めたのです。相手の学生や友人も日本人に限らずタイやインドネシアなど国際色豊かで、今考えればこれがアジアビジネスとの出会いですね。
− 海外ビジネスに関する知識はどこで学ばれたのでしょうか。
植田:旅行関連の免許を取得し、ホテルやガイドなどの仕事を経験した結果、旅行はやはり自分がお客として行くのが一番だと感じましたね。そんなとき、ウェイターをしていた頃に商社マンたちが羽振り良くお金を使っていたのを思い出しました。海外を舞台に活躍できる職業は自分には合っていると感じていたことから、今までの経験を活かしてビジネスができると考えたのです。実際に帰国時には6 カ国を旅行できるほどの資金が貯まっていました。
帰国後は、日本食レストランのオーナーが紹介してくれたアパレル関係の貿易商社で1カ月ほど基礎を学び、貿易部を新設したばかりの企業へ入社。中国やベトナムブームに乗って世界を飛び回りながら1年半ほどノウハウを学んだ後、貿易実務を中心とした輸出企業、さらには中古印刷機の海外輸出を行う企業へと移籍しました。ここで感じたのは、現地との交渉力や国際感覚が非常に重要だということです。日本とは文化や習慣がまったく異なるため、現地人の感覚を前提に話す必要があります。また、日本国内のビジネスでは縁のない海賊や偽札への対策が求められるのも、海外ビジネスならではの特徴といえるでしょう。さらに、現地での交渉やチケット手配には人間的なつながりも大切であり、当時の人脈が今でも大きな財産となっています。