日本のソフトウェア開発を救うのは
バングラデシュが誇る“ダイヤの原石”

J.M Sawkat Akbar
(ジェエム シュウカット アクバル)
1963 年生まれ。1987年にバングラデシュのダッカ大学を卒業後、日本語学校に留学し2 年間日本語を学ぶ。その後、コンピュータ専門学校に2 年間通いプログラミングに関する知識を習得。1991年に亜土電子工業へ入社し、1999年よりバーテックスリンクで事業部長を、2000 年よりラブロスで役員を務める。2001年に日本企業を退社し、バングラデシュに国内初のIT 開発企業「BJIT,Ltd」を設立。2004年には日本法人「株式会社BJIT」を設立し本社を移転、現在はBJIT,LtdのCEO および株式会社BJITの代表取締役を務める。
株式会社BJIT
諦めない強い想いが夢を現実へと変えた
アクバル氏が初めて日本を訪れたのは今から20 年前、24 歳の時だ。大学生だった彼は試験休みの時期を利用し、日本に留学している先輩のもとへ友人とともに観光目的で訪問したが、その際に先輩から「日本で働かないか」というアドバイスを受ける。当時はバングラデシュの大卒の給与が100ドル程度なのに対して、バブル全盛期の日本はアルバイトだけでも十分に生活費を稼げるような状況。もちろん企業の正社員になれば、さらに上も見えてくる。そこでアクバル氏は一念発起し、日本で働く決意を固めたのである。
先輩のアドバイスに従いアクバル氏はアルバイトで生計を立てつつ、まずコミュニケーション能力を身に付けるべく日本語学校へ留学、2年間かけてしっかりと日本語を学んだ。さらにコンピュータの専門学校へ2 年間通い、C やCOBOL などのプログラミング言語を習得。その後は日本語のコミュニケーション能力とプログラミングに関する知識を活かして日本企業に就職し、役員を務めるまでになった。この頃についてアクバル氏は「サラリーマン生活を通じて、日本の文化や人間関係などを肌で感じられました」と語る。
順風満帆なサラリーマン生活を送っていたアクバル氏だが、昔から抱いていた“自分の会社を作りたい”という夢を実現すべく2001年7月に勤めていた企業を退社、帰国してバングラデシュの首都ダッカに国内初のIT 開発企業「BJIT,Ltd」を設立する。当時インドがITビジネスで急成長を遂げており、人材や文化に類似した部分があるバングラデシュでも国際的なITビジネスが展開できるのではないか、と考えたのだ。
起業した当初は日本企業からの依頼を受けながらも1年目の売上が50万円、2 年目は100万円と苦しい日々が続いた。しかし株主の協力などもあり、アクバル氏は「この会社はきっと成功すると信じて経営を続けたのです」と、決して夢を諦めなかったのである。
企業経営が3 年目に突入した2004 年、アクバル氏の夢を現実に変えた大きな転機が訪れる。仕事を受けていた日本企業から、エンジニアの派遣依頼が舞い込んできたのだ。ここで日本とバングラデシュにおけるブリッジエンジニアのニーズを感じ取ったアクバル氏は、懸け橋となる日本法人「株式会社BJIT」を設立。さらに、2004 年4月には日本法人を親会社にするという大きな戦略変更を短期間で行い、日本企業への繊細かつ柔軟な対応を図った。この予想は見事に的中してブリッジエンジニアの需要が拡大、2004 年から3 年連続で黒字決算という順調な推移につながったのである。
バングラデシュの人材は
優秀かつ日本企業と相性抜群
アクバル氏がバングラデシュでIT 産業に注目した理由は、今後急成長が見込まれるというだけではない。バングラデシュの大卒エンジニアは一般職と比べて3 〜4 倍の初任給がもらえ、数年後にはさらに大きな差がつく。そのため非常に人気が高く、優秀な人材が集まりやすいのである。また、貧しい家庭の若者にも平等にチャンスを与えられるよう政府が注力しており、国立大学の数は現在20 校を突破、人材育成に適した環境が整ってきたことも拍車をかけているようだ。
さらにアクバル氏は、バングラデシュが持つ対日事情と国民性が、日本とのブリッジエンジニアに向いていることも示唆した。まず対日事情としては、灌漑施設の建設やIT 教育など日本からのODA が多く、国民全体が日本に対して良いイメージを持っている点が挙げられる。これはダッカの大学生500人を対象に行った一番好きな国のアンケートで、日本が147人、アメリカが64人、イギリスが41人という結果が出たことからも明らかだ。また、国内の97%は日本車で、日本人には無料でビザが発行されるという特典もある。
国民性に関しては、意外なほど日本人との類似点が多いことに驚かされる。米を主食とした農耕共同体文化なのはもちろん、年長者や先輩への尊敬を忘れない、企業に対するロイヤリティを尊重する、徹夜してでも約束した期限を守る気質など、円滑なコミュニケーションを実現する上でこれほど適した相手はいないだろう。
BJIT ではこのような優秀かつ親和性の高い人材に対して、バングラデシュ国内で3 年間のトレーニングを実施してから日本へと送り出している。このトレーニングにより日本語や実務など基礎的な部分から日本の文化やマナーまで、ブリッジエンジニアにふさわしい能力を身に付けるわけだ。自らが講義を行うこともあるというアクバル氏は「日本人が持つ細やかな配慮、特に製品の仕上げを教えるのが苦労しましたね」と語る。
日本語教室の様子