高度な順送り金型製造技術で実現した高性能プレス加工
生産能力、技術、品質ともに評価はトップクラス
株式会社 伊藤製作所
http://www.itoseisakusho.co.jp/
1945 年、三重県四日市にて戦災による漁網機械および撚糸機械の復興事業より創業する。その後、1957 年に株式会社伊藤製作所を設立。1963 年に順送りプレス型設計製作を開始する。以降、蓄積された膨大な技術、特許、人材などを背景に企業として成長を続け、1995 年にフィリピンへ進出。2003 年に100%独資の「イトーセイサクショフィリピンコーポレーション(ISPC)」を設立。第4 工場まで持つ優良企業として大きく飛躍し続けている。
海外進出先としてフィリピンを選択
「フィリピンで事業をスタートした前身の工場は、総額3,000 〜4,000万円の中古機械だけを日本から移設したのです」と、進出時の状況について語り始めたのは、株式会社伊藤製作所の代表取締役社長を務める伊藤澄夫氏だ。
同社が海外進出を考え出したのは1985年のこと。当時の日本の情勢としては、円の変動相場移行に関するプラザ合意以後、円高が進行する中で労働時間の短縮は最悪のタイミングだった。部品価格は円高とともに上昇し、多くの顧客は海外に移転。「中小零細製造業が受けた打撃は深刻で、国内のみで製造業を続けることが困難になるのではないかと考えました」と伊藤氏は語る。
将来、日本の会社が危機に直面した時に、海外会社によるバックアップができるよう力をつけておくことも考えた伊藤氏は、タイへの進出を検討した。しかし、すでに同業他社の進出や土地高騰、管理職レベルの人材確保難などもあって断念したのだという。そこで1995年、中国系フィリピン人をパートナーとしてフィリピンのマンダルヨン市に合弁会社「イトー・フォーカス」を設立することになった。「当時は日系の金属プレスの進出が皆無でした」と伊藤氏。タイと比べて品質の良い金属プレスや、金型製造ができる企業が圧倒的に少ないフィリピンでは、すでに同国へ進出していた大手メーカーの発注先としてすぐに注文を獲得することに成功したのだ。「日本では中小企業である弊社が、なかなか取引できないような大企業からの注文を受けることができました」と伊藤氏は当時を振り返る。