アジアビジネスの先駆者に聞け!
INTERVIEW

2012/12/20 16:28 [ベトナム]

豊富な知識と経験を基にした多角的なビジネス戦略
日越の信頼を深め互いにさらなる発展を目指す

Doan Huu Duc

豊富な経験を活かした企業支援やカードビジネス

─まずはご自身の経歴について簡単にご紹介ください。

ドゥック:ベトナム戦争は1975 年に終結しましたが、戦時下で幼少期を過ごした人々にとってはとても大変でした。そんな中でも勉強を大切にするベトナム人の習慣は生きており、私自身も11 歳から仕事をしつつ勉強に励んだものです。 
その後はホーチミン市人文社会科学大学で英語と経営管理を専攻し、在学中にはコンピューターや肥料を販売するベトナムとシンガポールの合弁会社で副社長も務めた経験があります。卒業後は同大学にて講師として学生を教えていました。 
1995 年に国費でアメリカのノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院に留学し、マーケティングを専攻してMBA を取得。日本からの社会人留学生もいて一緒に勉強したり、アジア人を中心としたグループで計算作業なども行いましたね。 
卒業後の1998 年から1999 年にかけては、世界銀行で南アフリカの若いビジネスパーソン育成に関するプロジェクトを担当しました。これはアパルトヘイト政策の影響が残る中で、差別されている人に向けた教育プログラムです。そして1999 年にベトナムへ戻り、ベトナムの経済大学向けの教科書作成に携わったほか、ローカルマーケティングの講師も務めました。また、アメリカのハーバード大学と連携したプロジェクトとして、学卒者向けにマーケティング講座も担当しましたね。 

続きを読む

<PR>

バックナンバー

2012/11/14 09:48 [インドネシア]

豊富な知識とネットワークでインドネシア進出をサポート
日本企業とともに二人三脚で歩む水先案内人

Albertus Prasetyo Heru Nugroho
進出企業をサポートし二人三脚で歩みたい

─日本在住12年目とのことですが、起業前はどのような職に就かれていたのですか?アルビー:私はもともと経済産業省の「海外技術者研修協会(AOTS)(現:海外産業人材育成協会(HIDA)」で研修の通訳をしていました。そして2008年には「日・インドネシア経済連携協定」の発効を契機に、インドネシアから看護師・介護士が訪日。こうした動きに対応するべく警察学校内に設置されたインドネシアコースで、インドネシア語の教師として文法を教えていました。
これらの業務を通じて私が思ったのは、予想以上にビジネスチャンスがある一方、わずかなボタンの掛け違いでそれを逃していることも多いという点です。しかし、当時の私にはそれを活かす術がありません。特に通訳という立場では自分の意見を言うことができす、もどかしく感じていました。

2012/08/24 14:10 [カンボジア]

内戦により消えかけたカンボジアの伝統的産業に光 「世界一美味しい胡椒」でかつての名声復活を目指す

倉田 浩伸
─まずは御社の事業概要と、カンボジアで事業を興したきっかけについてお聞かせください。

倉田:弊社はカンボジアで胡椒農園を経営しています。胡椒の生産と、小売・卸売販売が主な事業です。 
もともと、本を読んだり映画を見たりなどして、中学生のころからカンボジアに対する興味は持っていました。その後、1991年の湾岸戦争を機に自分でもなにかできることはないかと考え、カンボジアに学校を建てるためのNGO に参加しました。しかし、ボランティアという形で現地へ行っても、学校の校舎を建てるだけで終わり。活動に限界を感じ、他にできることはないか考えるようになりました。
当時のカンボジアは内戦の影響が色濃く残り、国ごと再建していかなければならないような状態でした。自分も一人の日本人として、カンボジアという国、特に農業を立て直したいと思ったのです。
それから調査を始めたのですが、たまたま内戦前にカンボジアを訪れていた祖父から、1960 年代の貿易資料を譲り受けることできました。そこには当時の主力農産品のひとつとして、胡椒が挙げられていたのです。

2012/05/29 19:22 [タイ]

日本の品質を上回ったタイの自動車生産

松田 健
日産がエコカーの「マーチ」を日本市場向けにタイで生産しているように、現地工場では日本を含む世界市場に売れる品質でのモノづくりを定着させたところが増えている。現在は技術力が高いタイ人の工員やエンジニアが日本各地に数千人も滞在し、昨年の洪水の代替生産に従事中で、日本で日本人を技術指導中のタイ人もいる。3月にはタイのインラック首相が、宮城県名取市にあるニコンのデジタル一眼レフカメラの工場を訪問。浸水したアユタヤ工場の代替生産に従事するタイ人従業員を激励した。 タイの自動車部品製造の大手ローカル企業であるサミットグループがバンコク郊外で合弁ラインを立ち上げた際、支援にきた日本の大手企業の技術者が、自社工場より断然多い最先端機械が導入されているのを見て驚嘆していた。

2012/05/16 15:37 [中国]

第20回 賑わいを見せる 中国有数の 交易センター

松田 健
台湾側は対中輸出を伸ばすために、ECFA枠組みも使ったさまざまな取り組みを開始。その活動のひとつとして、昆山市に大規模な台湾企業を受け入れる広大な開発区を設置した。この開発区内の1.1平方キロメートルという敷地を使い、台湾企業の中国市場進出を支援しようと考えているのが台湾商品交易センターだ。同センターには、昆山市政府と台湾最大の経済団体である台湾工業総会が数百億円を出資している。1号館のビルは「MIT精品館」と名付けられ、すでに86社の台湾で著名なブランドが2,000以上の商品を展示、店頭販売も行っている。

2012/05/16 15:03 [タイ]

第19 回 大洪水でも 人気が落ちないタイ

松田 健
タイ中部、バンコクの北に位置するアユタヤ県やパトゥムタニ県の工業団地に進出している約450の日系工場の中には、ホンダやニコン、キヤノンといった大手工場も多いが、全社が今回の洪水で最大3メートル浸水した。 この大洪水で各種部品製造のサプライチェーン(供給網)が寸断されたため、洪水に直面しなかったトヨタや日産の工場も操業が停止するなど大きな被害が出た。それでもタイから他国に出て行くことを考える日系企業はほとんどない。トヨタ自動車の豊田章男社長も洪水後にタイを視察して「(タイに)さらに投資を拡大することはあっても撤退はしない」と断言した。

<PR>