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2012年3月27日 【ベトナム】
ベトナム医療事情④

Brain Works Asia co.,Ltd
田口 秀一



前回、ベトナムのローカル病院に入院し、ひどい目にあった後
別のローカル病院に転院するまでをお伝えした。今回はその続きである。


病院の玄関口で待つこと10分と、意外にスムーズに救急車に乗ることができた。
外見はいかにも古びた車両だが、社内は思ったより綺麗で
皮のようなシートのベッドと椅子が設置してある。
妻と看護婦が1名、一緒に乗り込んだ。
サスがやや硬いが、乗り心地は悪くはない。
ベトナムは路面が完全には整備されていないために車の揺れが大きいのだが、
私自身が固定されていたためにそう感じただけかもしれない。


約15分で転院先の病院に到着した。
前回も述べたが、この病院は私が2日前に救急で飛び込んだものの、
まともな診察もしてもらえずに追い返された病院である。
しかしさすがに今回はすんなり受付された。
救急車で転送され、看護婦の付き添いもあるのだ。
いくらベトナムでも、この状況ではそうそう問題は起きないらしい。
もっとも、そういう日本での常識が通用しないこともよくあるが。


午前8時前くらいであっただろうか。
これまでの経験もあり、疑心暗鬼になっている私は、
これからどうなることかとなかなか安心できない。
そして、その不安を裏切らない展開が待っていた。


まず現れたのは、ベトナム人の医師である。この医師は英語が
通じるようで、英語で私に病状などを質問してきた。
前の病院のカルテを見ればわかるはずだが、症状が現れた日やその後の
状況などを聞いてくる。
確認のためなのかもしれない、などと思いながら、私は質問に答えた。


その後、看護婦が来て体温を測定したり、点滴を交換したりと
ベッドに横たわったまま処置を待つこととなったのだが、
待っている間に何人もの医師が私の側にやってきて狙ったように同じ質問をする。


いつから発症したのか、その後の病状や現在はどうかなど、
全員が同じ質問をするのだ。後から来た医師には全く情報が共有されていない。
私はまた、疲れが増してきた。


そして数時間にわたる放置状態が続く。
その間、レントゲンの撮影を1度したものの
基本的にはベッドに横たわったまま、誰も何もケアしてくれない。
私の点滴の液が切れそうになっても、看護婦も何もしてくれない。
私の妻がそれに気づき、点滴の管を絞って止めてくれたが、
妻がいなければ危ういところであった。


更に、看護婦は慌しく仕事をしており、大変そうなのはわかるが
ベッドの扱いが乱暴である。ベッドを移動させる度に
周囲のベッドにぶつけるので、横になっていてもガシャン
ガシャンと音を立ててベッドが振動する。


この頃、妻はいつの間にか姿を消し私の側にいなかった。
後でわかったことだが、救急室は狭いからと言われ、
室外に出されてしまったということだ。
私もつらいが、妻もかわいそうである。
付き添いで来たのに室外に出され、しかも座る場所さえないまま
数時間も待ちぼうけをしていたようである。


時間は15時を回った。私は朝から何も食べさせてもらえないまま
ひたすらベッドに横になって待っている。
救急車で運ばれた病人に食事もとらせずに放置というのは異常ではなかろうか。
しかも、トイレに行きたくなったので看護婦に訴えるが、待てといわれる
ばかりである。無理やりベッドから降りようとすると制止される。


ついに私は我慢の限界になり、大声で看護婦を怒鳴りつけた。


周囲の看護婦も集まってきた。しばらく騒いでいると、その騒ぎを
聞きつけた妻がやってきて、話を通してくれた。私は先ほどから
トイレだと言っているのに、何が通じなかったのか未だに謎である。
トイレから帰ってくると、なんとさっきまで私が寝ていたベッドが
なくなっている。ベッドが不足しているようで、私がいない間に
誰かが持っていってしまったようだ。看護婦に苦情を言うと、
近くにいるベトナム人の中年男性のベッドを指差し、そこに一緒に
寝ろという。もはや疲労も限界。文句を言う気力すら失せてしまった。


時間は15時半近く。
なす術なく妻と立ち尽くしていると、ようやく救いの声がかかった。
ついに病室に入れるというのである。


次回は、病室に入っての入院生活をお伝えする。




 


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