2011年4月30日 【ベトナム】 ベトナムにおける社員旅行の価値は絶大 ブレインワークスグループ CEO 近藤 昇 今月(4月)の中旬、ベトナムの現地法人にて社員旅行に出かけた。 参加者はベトナム人数十名と日本人数名。 バスで3時間ほどのリゾート地に出かけた。 旅行の企画や手配は、懇意にしている現地の旅行会社にお任せ。 この会社は、社長のみが日本人で約100人の社員は皆ベトナム人。 はからずも、ベトナム人の社員旅行をベトナム人が企画したかたちとなった。 今回、改めて実感したことが、本当にベトナム人は社員旅行が好きだという点。 本当に童心に帰ったような感じで遊び、はしゃぐ姿を目の当たりにしていると、 純粋に会社を経営する立場として、こういう福利厚生的なイベントを実施する側としては、 効果絶大、実行する甲斐があると感じる。 日本の社員旅行はずいぶん前から、組織力強化や福利厚生の一環として行われるケースが多い。 私が、社会人になった頃、つまり約26年前ぐらいは、まだ社員旅行が盛んだったと思う。 実際、大手企業に在籍していた4年間は、私は毎年社員旅行に行った。 当時の記憶を呼び起こし、今回のベトナムの社員旅行と比べてみると、相当な違いに気づく。 その当時から、私に限らず会社の社員にとって、日本ではあくまでも社員旅行は会社の行事なのだ。 当然、一社員として純粋に旅行を楽しむ以前に、 「会社の上司と一緒であること、仕事の延長である」という意識が先行する。 一方、ベトナム人は、全く違う。 ただのリフレッシュタイムなのである。 彼らは純粋に旅行を楽しんでいるのだ。 普段からめったにリゾート地に行けないという事情も背景にあるだろう。 1泊2日であったが、気分的には小学生を遠足に連れていく先生のような気分になる。 日本もかつては、こういう時代があったんだろうか・・・と思ってしまう。 少なくとも私の若いときはベトナムの社員旅行とは違う。 ベトナム人と共に働く人たちがよく言うのは、 「彼らのことを、職場でも中学生ぐらいと思うとちょうど良い」と。 そもそも、社会と個人という関係性が主で、社会、会社、個人として 見たときの会社という存在に対する意識が薄い。 したがって、会社への帰属意識も低い。 せっかくなので、道中の様子を少しダイジェストで紹介したいと思う。 集合時間はAM6:00。しかし、お決まりのように遅れる者が続出。 無断で欠席するものまでいる。 バスの中では、ガイドがリー ドしながら、ベトナム語でゲームを楽しむ。 時々、日本人にもガイドが振るが、言葉がわからないので流石に一緒に遊べない。 行きの道中は大盛り上がり。 ゲームの内容は、幼稚園か小学生の低学年程度のお遊びのようだ。
目的地に着くまでに、3ヵ所ほど寺院などを観光。 昼食を食べ、ホテルにチェックイン。 ホテルは2つ星だ。 ベトナム人のための昼寝タイムが1時間ほどあり、その後、海辺へ。 ここでもまた、ガイドの仕切りで2チームに分かれてのゲーム。 ムカデ競争、綱引きなど。 夕食は海辺のレストランで恒例のショータイム。 日本で言う、宴会芸のようなものだ。 ここで、先陣を切って日本人チームによるショータイム。 コスプレと歌と踊りを披露し、“セーラー服を・・・♪♪”を大合唱。 その様子にベトナム人たちは目が点になり一様に驚きの様子。 しばし観賞タイムから撮影タイムへ。 その後、キャンプファイヤーが始まり、ファッションショーやゲームなどを楽しむ。 翌日は、再び海でひと遊びし、昼食後に帰途につく。 途中、おきまりのドライブインで休憩とおみやげタイム。 帰りのバスでは基本的に皆が熟睡 モード。 そして、オフィスの前で解散。
それにしても、屈託なく、分け隔てなく旅行を楽しむ様子は、 会社の経営者としての本来の目的を忘れて考えれば、 本当に彼らの雰囲気につられて単純に楽しく時間を過ごした。 ただ、経営者としては会社の結束強くしたり、 社員のモチベーションを高めるなどのいくつかの目的がある。 こういう次元で社員旅行を行うにはもっと先かなとも考えてしまう。 今はこんな感じで良いので、しばらく続けたら良いかと思う。
近藤昇の「会社は社会の入り口だ」ブログ閲覧はこちらから: http://ameblo.jp/kondoh-blg/
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